農歩屋 のっぽや

農歩屋 山中景子


店長

初めまして、 私は農歩屋(のっぽや)の店長をしております山中景子と申します。
農歩屋は熊本市の北東部、のどかな田園地帯にある田んぼと畑に囲まれた小さな小さなお店です。長年、化学物質へのアレルギーを抱えながら暮らしてきた私が、食べたり、着たり、使ったりして本当に良かったと感じるもの(主に農産物、加工品、生活雑貨、お洋服など)をご紹介しております。
ここに、農歩屋を始めようとしたきっかけやお店が開店するまでの経緯と共に、私のことを少し紹介させていただきます。読んでいただけたら嬉しいです。


私(店長)の体質不良がお店を開くきっかけに


私、店長のけいこです。


私は熊本県の最北端にある山や川、そして田んぼが、あたり前のように周りにある田舎町で育ちました。生まれた時は3,800gと超ビッグな女の子で、母のお腹の中にいるときから蹴ったり暴れたりして「絶対、男の子だ!」と思われていました。そんな元気な子供でしたが、3歳の時に、卵巣をひとつ取る手術をしました。お腹が痛くて転げまわって「痛い、痛い」と言っていたこと、遠い見知らぬ町の病院に入院して手術したこと、手術台のライトの光が眩しかったこと、点滴の針が痛くて嫌だったことなど、今でも鮮明に覚えています。

レンゲ畑

退院後、元気になった私は「ぼっちゃん元気ね〜」と男の子に間違われることがたびたび。眼の下に大きなすり傷をつくりながら笑っている私の横で、苦笑いの母親が写っている小学校の入学式の写真が表しているように、放課後になると、野山を駆け回ったり、川遊びしたり、レンゲ畑で昼寝をするような女の子だったのです。
しかし、その元気な反面、車中で父の吸うタバコの煙で吐きそうになったり、遠出をすると、たいてい着いたころには頭痛や、胸のむかつきなどで気分が悪くなり、ぐずっていました。食べ物でも、外食(特に洋食)が苦手で、外食する時は必ずといっていいほど焼き魚定食を頼み、甘いものも苦手で、子供らしくない子供でした。


小学校3年生の時に、引っ越して、同市の街中にある小学校に転校しました。新築で、水道水が薬品っぽい味がして美味しくなかったことを覚えています。またその頃、サッカーに興味を持ちはじめ、クラスの女子たちでチームをつくり、お昼休みには男子チームに試合を挑んだりと、身体を動かすことが大好きでした。一方、TVでは、動物番組は欠かさず見て、近所の犬に”ワンちゃん巡り”と称してふれあいに行くほど、動物も大好きでした。小学生の時の文集に書いた将来の夢は、ムツゴロウこと畑正憲さんがいる北海道にある「ムツゴロウ王国」で働くことでした。


中学生時代もやはり身体を動かすことが好きで体育会系の部活に属していましたが、高校からは一転、コーラス部に誘われ、入部しました。当時は、母が入院し、父も仕事が忙しく出張が多かったため、家は、ほとんど私1人が住んでいるような状態でした。その頃から、お腹のみぞおち辺りの激痛で動けなかったり、油汗が出て息が出来なかったり、突然の高熱や足の皮膚のはがれ、突発的な発疹などの不調がたびたびで、よく1人で病院に行っていました。その後、福岡の短大でのアパート暮らしや、就職して東京での寮暮らしでも、髪の生え際や腕のところの湿疹やかぶれで、皮膚科に通っていましたが、ステロイド軟こうや薬を処方されるだけでした。いずれも、原因は不明でしたが、次々と薬を大量に処方されたり、診察時の医師からの心ない言葉に傷ついたりして、すっかり病院嫌いになっていました。


東京では2年ほど働いたのですが、早朝から満員電車で1時間半の通勤。残業後は最終電車で帰宅し、起きてはまた満員電車での出勤と、その繰り返しの毎日でした。唯一の休日には、平日のストレスを発散するかのようにショッピングしたり、お酒を飲んだり。そのうち、このような浪費生活に疲れ、実家のある熊本へ戻ってきました。そして、地元で、新聞社の事務の仕事などを経て27歳で結婚しました。


私(店長)の体質不良がお店を開くきっかけに


今から17年前のことです。結婚して、実家から熊本市内にある新築のアパートに引っ越しました。新婚生活のスタートです。しかし、今まで通勤が車で10分だったところ、約1時間半以上伸び、職場の上司も大きな灰皿が毎日山盛りになるほどのヘビースモーカーに代わるなど、周辺環境の変化に伴い、過去にないほど激ヤセをし、体調も悪くなっていきました。微熱、動悸、睡魔、止まらない咳などの症状が出て、当初、疲れがたまっているだけかと思っていましたが、通勤の車の中や勤務中のトイレで長時間寝てしまうこともたびたび。このままでは、いつか交通事故を起こしたり、周りにも迷惑がかかってしまうと、ついに、仕事を辞めました。

激やせ

仕事を辞めて、ゆっくりできるはずが・・・


その後も倦怠感、鼻水、目のかゆみに涙、頭痛、肺の苦しさ、微熱など、症状はさまざま。一向に体調が良くなる兆しどころか、むしろ悪くなっていっているようでした。家事もできない、話もしたくない、そして、お布団から起き上がれない日も増えていきました。全く症状が改善しないので、やむなく病院に。黄砂アレルギーと言われましたが、結局、原因は不明で、いつしか、ココロも疲れてしまっていました。


あるとき、”化学物質過敏症”という言葉を聞きました。色々調べてみると、あてはまることが多く、これではないかと化学物質を避けるように心がけていきました。後で気づいたのですが、痩せて弱っていたところに、疲労、環境の変化、新建材などの化学物質や煙草などが重なり、一気に症状がでたのかもしれません。


化学物質を避ける生活と食の見直しをはじめる


少しでも症状を軽くしたいと、新築アパートから、築40年以上も経つボロボロの一戸建てを借り、暮らし始めました。新建材から出る揮発性物質などから逃れるためです(念願のワンコを室内飼いしたいということもありまして^^;)。併せて、食も調味料から見直し始めました。海水から煮詰めた塩、昔ながらの製法の醤油やみりん、時間をかけて圧搾した良質な油、砂糖もきび砂糖や黒糖などに変え、野菜もなるべく農薬や化学肥料を使用せずに栽培されたものに。加工食品も、今まで以上に裏ラベルをチェックしては、食品添加物の入ったものを極力、買わないようにしていきました。

生活と食の見直し

これらの見直しで、以前よりも少しは動けるようになっていました。このころから、徐々にですが、農業・農村を支援するNPOの仕事を手伝うようになり、ジャム加工や野菜の配達、ラベル貼り、DMのデザインのほか、フリーペーパーの企画スタッフとして参加したりと、少しずつ出来る仕事からチャレンジしていきました。


1歩1歩徐々に

そうそう、夢だったワンコの室内飼いも実現し、「点子(てんこ)」という名のメスの“黒ラブ”も加わり2人+1匹での暮らしが始まりました。


私が働ける場所ってどこだろう?


古い借家に引っ越し、色んな見直しをしたおかげで、少しずつですが、体調も良くなっていきました。しかし、まだまだ完全ではありません。今でも公共交通等での移動時に、車内清掃の洗剤のニオイのほか、乗客の香水や衣服に付いた煙草の匂いなど、様々な原因で突然頭がボーッっとなります。また、目の焦点が合わなかったり、相手の話が頭に入ってこなかったり、吐き気や突然の睡魔に襲われることもあります。そんな時は、たいてい家に帰って、寝込むことになります。化学繊維のYシャツのアイロンがけや開いた本のインクでさえも気分が悪くなることがあります。いつどこで体調が変わるのか予測できないので、常に「周りへ迷惑をかけるのでは?」という怖さがあります。
そこで、ふと考えました。「私が働ける場所って、自宅しかないんじゃないかな」と。雑貨が大好きで、時間があれば、よくお店めぐりをしていましたし、納得できるものが見つかるまで探すのも得意。自分がいいと思ったものを人に紹介して喜んでもらえることも嬉しい。何処に行っても、そのお店のスタッフに間違われ、色々尋ねられることが多い自分に合っている気がしました。そして、「自宅でお店を開けたらいいなぁ。」と漠然と思うようになっていったのです。


自宅でお店を開けられたら

伝統工法の家に住みはじめ、さらに体調も上向きに


住んでいた古い借家は、国道の用地買収にかかるということで、近いうちに出ていかなくてはならないことが決まっていました。また、オットが長男ということもあり、いつか大きな仏壇を引き取ることも。それに、もっと体調が良くなる住まいへの憧れもありました。日頃から、大型犬の点子(てんこ)を室内で飼える古い借家を探していたのですが、新たな物件がなかなか見つかりません。その一方で、借家ではなく、いつかは自分たちの家を建てるという夢も抱いていたため、週末の休みのたびに郊外にある売り地を点子を連れて、オットとよく見に行っていました。


家を建てよう

ある日突然、オットが「家を建てようか。」と言ってくれ、以前から興味がり、チェックしていた県産木材で伝統工法の家を建てられているグループの所で家を建てることになりました。そして、木、古材、土壁、漆喰、和紙を使った、日本に古来からある伝統工法で家を建てたのです。建築中は、県内の伝統技術を受け継ぐ職人さんたちが入れ替わり立ち替わりやってきて、目の前でその技(仕事)を見させていただきました。


このような昔ながらの家づくりを選択したのは、もちろん自分の身体のこともありますが、長年脈々と人から人へ受け継がれてきた”日本の財産”とも言うべき伝統的な技を後世に残していかなくてはいけない(そのためには仕事がないと残っていかない)との想いもあったからです。
家は、柱や梁だけでなく建具や扉、食器棚などほとんど木製で、カーテンは付けず、いぐさの和紙を使った障子を窓のあるところすべてに施してあります。(トイレの窓にも障子があると笑われますが・・・)。壁は竹を組んだ下地に土とわら、そして漆喰と昔ながらの造りです。”機密性のない家”は風が通るため、夏は比較的涼しく過ごすことができ、木の香りが漂い、土壁、漆喰、土間、障子etc. は化学物質の匂いは感じません。
引っ越しが終わった日の夜のことです。家の中に20センチぐらいの大きな蜘蛛を発見しました。
それを見た時、「ここに住むときっともっと良くなるのだ。」と言う予感というか確信が芽生えました。建ててすぐの家に虫が住めるのならば大丈夫だと・・・。
長い間、食べ物を見直し続けてきたことも現れてきたのでしょう。実際に住み始めてからは、ますます体調が良くなるのを実感したのです。そして、当初は、ただの“住まいとしての家”だったのですが、この場所でお店ができればと働く意欲が出てきたのでした。


農歩屋(のっぽや)をオープンしました!


2009年9月にお店を始めました。体質改善のために時間をかけて色んなことを見直してきた過程で、悩んだり苦しんだりしながらも「こんな体になったのも、何か意味があるはずだ」という思いがずっとあったからです。そこで、アレルギーの自分が実際使用して良かったと思うものなどを中心に、衣食住に関する品物を販売しています。
最初は、ほんの僅かな品数から始まりましたが、おかげさまでご紹介しているものは徐々に増えてきています。そして、品ものを、どのような人がどういう気持ちでつくっているのかをお伝えしたいと思っています。また、なるべく、つくり手にお会いし、つくられている場所や工程などを見せていただき、想いなども伺うようにしています。購入された方が、これらのエピソードを思い出しながら、食べたり、使ったり、身に付けたりされたら、ココロにプラスに作用する何かが加わって、さらにカラダにも良いものになるのではないかな、と思っているからです。

また、いくつもの長い工程を経て、手間と暇をかけ黙々とつくり続ける職人さん。今後も、ずっと、つくり続けてほしいと思っています。手間がかかり、素材が良いものは、その分、お値段も高かったりしますが、使い捨てではなく、長く使えます。昔からの伝統的なつくり方や技、素材などが絶えることがないよう、私たちが買って愛着をもって使うことで支え続けていけたらと考えています。また、敏感な私が心地よいと思えるものは、きっと化学物質の少ないものでしょうし、埋めたら土にかえる素材のものは環境にも良いはずですしね。

熊本にお越しになられた際は、是非、お店へも遊びにいらしてください。田んぼや畑、そして、流れる風に囲まれて、遠くに連なる阿蘇の山々や山腹に林立する風車を眺めながら、いつもと違う時の流れを感じてみませんか。

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